長沼焼という福島県のやきものになります印版の小皿ですこちら窯キズや経年による線キズやスレがございますので完璧を求める方や神経質な方はご遠慮ください古い物にご理解のある方宜しくお 信頼できる宅配便での発送をお勧めします。
長沼焼という福島県のやきものになります。印版の小皿です、こちら窯キズや経年による線キズやスレがございますので完璧を求める方や神経質な方はご遠慮ください。古い物にご理解のある方宜しくお願い致します。
中央部分に丸く円を描くように釉薬が載っていない部分がありますが、これは釉薬が固着しないようにする為の工夫かと思います。釉薬が載っていない部分は印版部分が露出しております。また白磁を生かすデザインではなく全体的に青みがかった釉薬をかけ流していておりなかなか凝ってると感じました。
長沼焼の歴史↓
福島県旧岩瀬郡長沼町、現在の須賀川市長沼に窯が築かれましたが、昭和8年(1933)頃には廃窯となっています。
始まりは江戸時代の正保4年(1647)に美濃国から来た水野源左衛門が陶器を焼き始め、その後会津本郷に移ったとされていますが、詳しいことは分かっていません、この時期に作られたのが古長沼焼と呼ばれているそうです。
古長沼焼の開窯から219年後の慶応2年(1866)に、庄屋の矢部富右衛門が独力で窯を築いて陶器を焼き、長沼焼が再興されます。矢部富右衛門は焼き物の技術を福良焼から習得したといわれています(福良焼は1827年、福島県郡山市湖南町福良で生産された焼物です。)
矢部氏は陶器を焼き始めて早々に資金不足に陥り、会津藩に助力を願い出ると米10俵と領地内の松の木を伐採して燃料とする許可を得ます。
しかし幕末の動乱で混乱し、窯は操業停止となりますが、明治3年(1870)には操業を再開し、磁器生産に着手しております。
明治13年(1880)には会津本郷焼で顔料に合成呉須(ベロ藍)が使われ始めます、その後には長沼焼でもこの顔料が使われるようになりました。
大きさ→ 直径約12cm
即購入された方は納得の上購入されたと認識しますので購入後に「思っていたのと違う」等無きようしっかりと写真を見てからご購入下さい。
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